『私の夏休み』

北九州市から上京してきた貧乏東大生が下剋上していく物語です。「私」の出来事や内面を、論理と感性のバランスがとれた名文で描写します。政治、経済、社会、都市論、旅行、料理、ランニング、音楽など関心は広いです。

僕たちゆとり世代って気焔とか欲とかが薄い人は多いよね?

僕はとある給付型奨学金に応募した。

奨学金といえば、両親の家計の貧しさと本人の学業その他の成績を基準にその支給の可否が決められることが一般的だ。 

今回私が応募したものは後者のもので、6枚ぐらいの書類に米粒のような字で僕そのものを書き詰めたら、書類選考にめでたく合格した。ありがたや。

そこでつい先日の面接試験である。東京都心のビルの一室で、貫禄のあるおじさま方4人を相手に面接してきた。

とりわけ圧迫してくるような印象はなかったが、僕に本気でぶつかろうという意図で質問をぶつけてきた(その真偽は定かではないが、本人はそう言っていた)。

政治や経済に関する話題を切り口にして、僕たちの姿勢を確かめようとしたようだ。

そのうちの1問でこんなものがあった。

「君たちの世代は、仮に勤労中に公的年金を支払ったとしても、定年後にいざ年金をもらうってなったとき、そのリターンが少ないどころか、もしかすると損するかもしれないよね。それに対しては怒りとか何も感じないの!?何かお上に政治を任せているような意識が君たちにはあるかもしれないんだけど」

わざと煽っているのかな?と感じるぐらいには感情がこもった聞き方だった。

隣にいた、いかにも利口そうな神戸大の男はこう答えた。

「確かにそうですよね。僕たちは事実としてそういうのがあるというのは知っていますが、おそらくまだ働いていないからあまりそういったことを実感していないんだと思います」

さらにその奥にいた京大の女の子は、

「大変な問題だなとは思うんですが、まだあまり知識がないから上手に答えることができません」

と。

 

なんてことだ。これはどこまで本心なのだろうか。

面接の場での演技がいくらか混じっていたとしても、なんという他人事意識なのだろうか。そして「知識がないから答えきれない」とはなんという受験脳だろうか。

2つぐらい上の世代のおじさんからこのように言われて悔しくないのだろうか。

おじさんが僕たちいわゆるゆとり世代に対して指摘した、「お上に政治を任せているような意識」を、おじさんの目の前で彼らはまさしく示してしまったのだ。

このままじゃ俺もそのような世代に埋もれる一人と思われてそうで悔しかったから、それが奨学金を得るための面接の場にふさわしい回答かどうかはともかく、

「そんなことありません!!!平和ボケや成熟した社会といった時代背景からはそういう価値観が蔓延しやすいのはたしかにその通りですが、少なくとも僕はそのような現状に対して、やるせなさというか、怒りというか、危機感というか、どうしようもない負の感情が生じています。具体的にどうすべきかは今模索している最中ですが、それをどうにかするために国家公務員になりたくて上京しました。そんな風に他人事としてとらえているなんて考えないでいただきたい」

と感情的に、率直に答えてしまった。

 

おじさんは僕たちの世代を「気焔のない世代」だと思っているに違いない。

「草食男子」や、恋愛において3高よりも3低を求めるような女の子のことを想定しているのだろう。もちろんそれは一側面にすぎないのであろうが。

世の中の政治経済社会の問題に対する他人事意識、性欲や金銭欲、名誉欲の薄さを感じていうのではないだろうか。

これはおじさんの言葉への僕の類推だ。僕もわりと日ごろから薄々と似たようなことを感じていたから、それについておじさんと共鳴するものを得たのだ。

僕たちゆとり世代って、何か情熱に欠けているというか、覚めているというか…そういう価値観が蔓延してないか。働き出したら変わるのかな?俺が東大におるせいかな?

特に東大には、趣味が多かったり人間性が面白かったり、その他諸々の面で優秀な人間が多いなーと感じる一方で、気焔、野心、欲、こういったものが物足りない人間も多いように思える。裕福な家庭で中高一貫校に進学し、塾通いつめてたやつとか(かなりの偏見は混じっているが一般的な傾向としてあると思う)。

そんなに優秀な能があるなら、もっと社会のために役立てればいいのに、あくまで大衆の意識をもつ人間として、あるいは遊び人であろうとする人たち。社会に対する関心と上昇志向が薄い人たち。余計なお世話だろうが、どことなくやるせない。

『近代日本の政治家』を著した政治学者・岡義武は、伊藤博文大隈重信など明治期の大物政治家と比較して、公家出身で優秀だがやる気のない首相経験者・西園寺公望を「貴族主義的な人間」だと形容したが、ここに挙げているような人間はまさしく同じ言葉で言い表せると思う。

それを悪いことだというつもりはないが、僕は気焔、野心、欲がある人間の方が魅力的に思える。それらが人間を突き進める原動力となり、無理をできるだけの体力気力を提供する。

そんな人間でありたい。

 

感情に任せたままに書き殴ったからあまり整合性もくそもない文章になった。でもかまわない。そこらに議論の種はばらまかれているでしょう。何か感じたものがあれば教えてください。偏った考えであるとも思います。