『私の夏休み』

北九州市から上京してきた貧乏東大生が下剋上していく物語です。「私」の出来事や内面を、論理と感性のバランスがとれた名文で描写します。政治、経済、社会、都市論、旅行、料理、ランニング、音楽など関心は広いです。

安倍政権の「強さ」の源泉を考える

 2012年の年末に第2次安倍内閣が発足して以来、かれこれ約3年5ヶ月が経つ。歴代首相在任日数ランキングにおいて、第1次内閣も含めた安倍晋三の順位は池田勇人を凌いで第7位となった。これより上位には、吉田、中曽根、小泉など強力なリーダーシップを発揮した宰相の顔ぶれが揃っている。思えば、2012年以後の安倍政権も「強さ」を想起させることがある。2回の総選挙では大勝を収め、党内での基盤も固める一方で、各政策の功罪は別として、アベノミクスや安保法案や特定秘密保護法案の制定、TPPへの参加など、歴史上のランドマークとなるような数々の政策を通すことにも成功している。政治学者・北岡伸一は、自著『自民党―政権党の38年』において、55年体制における自民党=日本の政権の政治的意思決定の構造の本質が、派閥単位での権力闘争と各派閥のリーダーの政策・思想の相互作用にあることを明らかにしている。しかし、この3年半弱の安倍政権の意思決定はこの構造をはみ出ているように見えるのだ。すなわち、少なくとも国会の中では、派閥や野党との権力闘争による制約をさほど受けずに、安倍個人の思想が色濃く反映された政策が行われているように思える。このような安倍政権の「強さ」は何に由来しているのであろうか。同書で中曽根政権が長期政権たりえた要因を、「中曽根の個人的資質」と「それに適合的な状況」に求めているが、ここでも同じ観点からこの問いを考察する。  

 

安倍を押し上げた現代という時代

 まずは現代という時代の状況から考える。国際的には、先進国の停滞と新興国の勃興、冷戦終結後の地政学的リスクの表出(大国間の外交、中東問題などで顕著)といった事態が目立っている。対して日本国内では、「失われた20年」や少子高齢化が象徴するような、日本の社会経済の縮小や、政治とカネの問題や度重なる首相の交代に由来する国民の政治不信が、しばしば問題視されている。このような、国際政治での主要国の勢力の変動と緊張、政治・経済両面における日本の相対的プレゼンスの低下が、日本国民の右傾化と、彼らによる強いリーダーの出現の希求を促した。 また国会内での、55年体制に見られるような派閥間の闘争の弱まりと、小泉内閣以後の「適材適所」とでも呼ぶような、自由な閣僚・党人事が、安倍の出世を早めた。

 

政治家「安倍晋三 

 そして安倍晋三という政治家は、このような時代の要請に応えるにはおそらく十分な人物であったのだろう。第一に、彼の思想・ビジョンはまさしく、多くの右派の求めるそれにほとんど一致するものであり、また強固なものだ。「憲法、安全保障、教育などの面における戦後レジームの脱却」という彼の国家観を示す標語には、ナショナリズムと、米国と強調しつつも独立を目指す志向を持つ、岸を思わせる。第二に、安倍は家系に大物政治家を多く持つ、政治家一家で育ったプリンスであるということだ。この家庭環境が、彼をして父や祖父の政治的な地盤と思想を受け継がせた。第三に、第1次内閣での失敗をバネにして、首相再任後の政権運営を安定させたことである。ホープとして期待された第1次内閣の際は、権力基盤をきちんと固めずに巨大な施策に手をつけ、さらにスキャンダルも続出したため、わずか1年で降板となった。再登板までの間に何をしていたのか詳細は不明だが、彼の大きなビジョンの実現に向けて、虎視眈々と支持基盤を党の内外に固めていたであろうことは想像するに難くない。民主党からの政権交代後は、複数の勉強会を通じて安倍の党内での強さを確固たるものにした。安倍政権の明確な思想に対抗しうる野党も、共産党を除いては存在しなかった。また、安倍の希求する戦後レジームからの脱却よりも先に、世論の要望が大きい経済政策に専念したり、スキャンダルへの注意や派手なパフォーマンスで「強さ」をアピールしたりすることで、幅広い国民の支持を得ようとした。

 

 以上をまとめると、安倍政権を安定かつ強固なものにしている要因は、右寄りの政策とリーダーシップへの時代の期待に対して、安倍がその野心と失敗の経験を活かして応えたことにあると言えよう。